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行程
- 8月04日 静岡/浜松=荒尾(熊本県)
- 8月05日 =鹿児島=種子島
- 8月06日 =宮之浦港=永田ー永田川f2
- 8月07日 −下タケヨケ沢出合
- 8月08日 −上の岩屋
- 8月09日 −右俣−鹿之沢小屋
- 8月10日 −大川の滝
- 8月11日 =宮之浦港
- 8月12日 =鹿児島漫画喫茶
- 8月13日 解散
メンバー
真先、青木(むね)、平川、塚田、浅田、伊藤、平気
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去年屋久島に行って、楽しかったのでまだ行きたくて、他の人も行きたくて、
合宿となった。天気に恵まれて快適だった。屋久島は体力消費がすごい。
text:平気 photos:平気、青木(まさ)
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8月04日 曇り
静岡/浜松=大阪=姫路=岡山=下関=博多=荒尾
一日電車。もちろん、何人かが乗り遅れ、新幹線で追いかけて来る。
オセロ、カードゲームをやってすごす。姫路で一時間休憩が
あって、ハンバーガーを食べる。荒尾は競馬場の駐車場でビバーク。
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8月05日 晴れ
荒尾=人吉=鹿児島=種子島
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朝一の電車に。人吉〜吉松間が観光列車となっていた。クーラーが強すぎて非常に寒かった。
途中出たり、古い汽車があったり。鹿児島で装備をそろえ(好日で買い物、そして
芋焼酎をGET)。フェリー「はいびすかす」に乗る。タッカーがタイタニックを演じる。
のち船内で飛び込んで焼けどをする。海は、いいな。フェリーは種子島でとまる。
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8月06日 快晴
宮之浦港=永田−永田川−永田川f2
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みんな寝坊して、船の到着音で起こされた。急いで準備、下船。永田行きバスまで
1時間待ちなのでお土産屋さんで朝ごはんを買う。永田へのバスでみんな寝ちゃう。
そして「永田入り口」というバス停で降りてしまう。や本当は、終点まで行くべきだった。
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永田登山道に着いたら、暑くて、泳ぎたかったのですぐ沢に入った。沢の中、
泳いだり、飛び込んだり、石から石へと跳ねたりして登った。f2あたりに来たら、
2時半だったので、右岸のプラトーに泊まった。
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8月07日 晴れ
f2−下タカヨケ沢出合
f2は左から登って、滝にクライムダウンして、滝の中を歩いて足の裏の感覚で踏むところを探す。
なかなかびびるが、落ちたとしても、5mくらいプールに流されるだけなので楽しい。
そこから一日中ゴーロの中のボルダーが続いた。パワーフルなムーブが多かったり、微妙なスラブも。
どんどん川床を登っていくが標高がなかなかあがらない。
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8月08日 晴れ
下タカヨケ沢出合−上の岩屋 13:30
ゴーロ帯が続いて、たまに滝が出る。ものすごく神秘的な屋久杉帯を通過したり。
沢はここが一番美しかったと思う。
上の岩屋についたら、稜線に抜けるには遅すぎた。上の岩屋は、文献によると、
4〜5人が泊まれるが、私達は7人で泊まった。下の洞窟、道の平らなところを
使えば何とかなる。
しかし次の朝起きたときは右の肩が痛くて、それから3週間くらい痛かった。
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8月09日 晴れ
上の岩屋 − 右俣 − 尾根上 − 鹿之沢小屋
右俣は急な沢だが、難しいところはない。最後の藪漕ぎはザックが憎くなる。
小屋に来たら、真先、青木と平気の三人が永田岳を往復。
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8月10日 晴れ
鹿之沢小屋 − 七ッ渡 − 大川 − 大川の滝 20:00 − 海 23:00
大川を下る予定で行った。が、最後は時間が足りなくて、午後6時半から下部ゴルジュ帯
手前から左岸の尾根を林道に抜けた。
大川の下部は飛び込んだり泳いだりして楽しかった。
が、授業の関係でもう帰らなければならないメンバーがいて、ビバークできずに
林道を使うことにした。大川の滝の歩道で泊まった。
だが夜はお客さん連れのガイドさんが滝に来て、タープについて文句を言われた。
宿屋を使わずに野宿する人は寄生だと思っていたらしい。
山から降りた私達はただ、最も身が雨から守れそうなところにタープを張っただけで、
夜中は人の邪魔にならないと誤まった考えして、何でも顔が真っ赤になるまで
怒る必要がないだろう。殴ってくるかと思った。そこで海岸へ移動した。
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8月11日 曇りのち強雨
大川の滝 (一部解散) = 湯泊 = 宮之浦
朝の始発バスは遅かった。メンバーの一人が港に行き、一人が縄文杉を見に行った。
私達は海中温泉に行ったが、石けんがなかったので湯泊の温泉に歩いて戻った。
温泉に入っている間に警察から連絡が来た。下山が計画より遅れていたから
呼ばれていたみたい。いやその計画には予備日3日間があったよ。ただその計画書が
大学の学務まで行ってなかったのが問題。一応、公認サークルだから。
午後は雨が激しく、港で案内してくれた宿屋で泊まることにした。
焼肉を食べ、つくねがでっかかった。
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8月12日
宮之浦 = 種子島 = 鹿児島
はいびすかすで鹿児島まで。
鹿児島で奄美料理のお店に行った。
焼酎お試しセットがお買い得。
3人になった私達がアプレシオ(漫画喫茶)天文間店で泊まった。以外と快適。
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8月13日
鹿児島駅 (解散)
平川、塚田の二人は本州に向かった。私は、もっと速い電車で九州の阿蘇に向かった。
そこで鹿児島中央駅で道が別れた。帰る二人はそれから、博多まで行き、
ムーンライト九州(夜行快速)に乗って行った、私は阿蘇で一泊し、それから
山口へ行き、山口の友達と何日か遊んでから帰った。
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総話
屋久島は遠いが、そこまでの旅が楽しめたらそれほど長くは感じない。
今回は去年と同じく天気に恵まれて快適だった。
屋久島の沢は体力を思う以上に消費する。大川を降りた後、本来は小楊子川を登る予定だったが、
体力が削られて、食事が栄養的に白米だけだったので、回復できずに、非常に疲れていて、
足の裏、指先が削られて、あちらこちら怪我をもして、とても沢登りを続ける気はなかった。
それからいうと、屋久島で難しい沢を目指すのなら、最初にその難しい沢に行くべきだと思う。
わざと暑い時期に行ったことも関係あるだろうが、体力消費は、
例えば東北の沢に比べると、一桁違うから。
計画書についてもここで一言を書いたほうがいいだろう。今回の問題は、計画書を
書くのが遅く、顧問教員に見せる機会が出発までになかった。そして学務は、
顧問の印がない計画書を受理しない。
しかし屋久島では、計画書を港の案内センターで提出した。あと、連絡係をいつものように
静岡で任命していた。遡行も計画時間内にできた(予備日を入れて)。そこで、
今回の計画混乱から学ぶべきことがあるとしたら、
- 計画書は早めに作る。合宿は学務、県警に提出し、できればネットにも入れる。
- 家族に山に行くとき何かを言うなら、正確に言う(〇〇日の予定だが〇〇日伸びるかも)
- やむを得ず、顧問の印がもらえないとき、印なしで受理してもらう
上の3つ目は大学のルールに反するという考え方ができる。しかし、合理的である。
印があってもなくても、山にいくから。それは山岳部の山行としてではなく、
形式上、個人山行の形になってしまうかもしれない。しかしいくら個人で行ったって、
何かがあった場合に、日本では大学も絡まって来そうだ。そこで、学務は計画書が
あったほうが、ないよりはいいでしょうから、合理的だ。
あとは、例えば浜松の人間同士で山に行くとなったら、顧問の印をもらうどころか
学務に提出することすら難しい。
合宿に関して、殆どの場合は大体のことが分かっているが、夏も冬も出発日が天気
のため遅れる、別の目的地・別の計画に出発前日変更になることがある。
天気は計画に従わないから。これをどうすればよいかが課題に残る。
連絡係の連絡先をメンバーの家族に知らせるか。それとも、変更になった計画書を
でも出し、何かあったときに学務がとりあえず連絡係に最新情報をお願いするように
確認しておくか。難しいところだ。
これを読んでいる部員の親族の方に:山岳部では全ての山行において、連絡係を設けている。
連絡係が必ず最新の計画書・計画情報を持っており、計画上の最終下山時刻が過ぎても
登山隊と連絡が取れない場合は赤いボタンを押す役割になっている。そこから学務、
緊急連絡先(家族)、山岳部現役、OB、警察に連絡が入っていく。なので、何もないときは
基本的に親族に連絡が行かない。「No news is good news.」
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